前記事で、道徳教育って他国ではどうなってるんだろうと思い、調べてみました。
道徳教育|世界と日本を比較!子どもの心をどう育む?現状と課題まとめ
↑これは、めちゃくちゃ真面目に書いた記事です。
道徳って、日本だけかと思ってましたが、全然そんなことなかったんですね。そういえば、『赤毛のアン』読んでても、大人達が、子供の健全な価値観の醸成にすごく腐心してて、子供が宗教的に(道徳的に)アウトな事しばしば口にするのを、「Oh!」とかいいながら叱責したりしますよね。
じゃあ、日本で「教科」になっちゃった道徳教育がどんな風におこなわれているかというと…これ、絶対、お上に怒られるやつなんだけど、中学校の実態をここで披露しちゃいます。文科省には黙っといてね。
道徳教育の授業時数
道徳教育の授業時数は、中学校3年間を通じて、年間35時間です。
では、この35時間を実際にはどう使っているか道徳のシラバスから読み解きます。これは、外部の人が見ただけでは分からない書き方がなされているので(わざとです)、左側が見出し、→の右側が本当の内容となってます。
年度初め
○礼節を知る(1H)→全校集会で校長、生徒指導部長、学年主任などいろんな人があ~だこ~だお話しする。
○よりよい生活(1H)→学校の校則および一日の流れの確認。
○卒業生に学ぶ(1H)→卒業生の生の声を冊子にして、「後悔先に立たず」を思う存分味わわせる。
○互いを認め合う心(2H)→全校生徒を体育館にぶち込み、特別支援教育として2時間連続展開で講師講演。
はい、これで5時間を消費しました。ふぅ~。うれしいね。あと30時間。
イベント
○社会と歩む参観日(1H)→外部講師として弁護士を呼び、「いじめをするとこんなに怖いことが待ってます」という法的措置について話してもらう。一定の効果あり。
○母に感謝の参観日(1H)→外部講師として助産師に来てもらい、生まれてきたことの喜びについて話してもらう。一定の効果あり。
○伝統文化学習(2H)→伝統文化について学べる場所に校外学習に行き、お弁当を食べたり観光したりお土産買ったりしつつ日本の良さを感じる。ほぼ遠足。終日の活動だが、カウントはあくまで2Hのみ認められてる。
はい、これで4時間消化しました。あと26時間。
振り返り系
○1年間の振り返り(1H)→一年の最後に、自分のことを振り返る、つまり、うちらが指導要録に書くためのあれやこれやを生徒にリサーチする。
○友達に感謝(2H)→一年の最後に、ありがとうのメッセージを書かせる。学級全員分書かせるので、一時間ではとても終わらない。もらうのが楽しみなので、生徒は思いのほか真剣に書く。
これで3時間消化。がんばれ残り23時間。
ステルス道徳
○夏・冬休み明け道徳(2H)→普通に読み物教材のタイトルが見出しになっているが、実態は宿題集め。読み物教材の中には、「生命や自然、崇高なものとの関わりに関すること」という項目群があり、読み物教材との相性が非常にわるい。いくら自然の尊さを文章で読んでも、なかなか生徒には伝わらないから、その手の教材が、このステルス道徳に当てられがち。
やった~とうとう14時間消化した。学級で担任が授業をしなきゃなんない時数、実質21時間。
道徳教育の実態
じゃあその、のこり21時間が一体どんな風に授業展開されているかというと。これがまあ、割ととんでもないわけです。その理由は、前記事にも書いたのですが、とりもなおさず、「担任に一任」しているからですぞ。途中、上記のようなイレギュラーをはさむとはいえ、毎週ひとつ、50分単位の道徳の授業するって、本当に大変なんだから。
ということで、ここからは、いろんな教員の知られざる道徳の実態をご紹介。(毒入り注意)
国語授業型
丁寧に読み、登場人物の気持ちをこれまた丁寧になぞって浮き彫りにしたがる。「このとき、主人公はどんな気持ちだったと思う?」が常套句。「もしあなただったらどうする?」がセットで繰り出される。
文中にひそむ、意外と難しい言葉を決して放置せず、いちいち説明しがち。なんなら、デジタル教材と平行してインターネットに接続しておき、当該の言葉を検索して確かめる念の入れよう。
ふだん国語の授業で使っているマイ国語辞典をご丁寧にも準備している、先読み女子もいる。
生徒があらすじを理解できていないかもしれないと必要以上に気をもみ、登場人物の関係性を板書してしまったり、ターニングポイントになる出来事や発言に蛍光ペンチェックを入れさせてしまったりする。
授業の内容が「文学的文章の読み取り」に偏りがちで、気がついたら細かく分析し尽くして、テーマが二の次になってしまう。
国語の教師が陥りやすい授業パターンではあるが、ときに、小中学校時代に自分自身が受けた授業を踏襲したせいでこのパターンに陥る若い先生もいる。彼らには、早くココに書かれている以外の健全な授業パターンを見いだしてほしいものだと切に願う。
IT「激」活用型
今はやりのタブレット型授業を展開したがる。なんでもかんでも、アンケートを取らずにはいられない。生徒にタブレットを持たせ、自作のアンケートに答えさせてその場で集計して見せたり、生徒の意見をタブレットに打ち込ませて全体で共有したりと、その授業はこのうえなく華やかである。
生徒も、退屈な話を聞いたり、必要以上にあらすじにこだわったりする授業よりも断然退屈しないので、タブレット型授業はやはり人気がある。
ただ、タブレットをいじっていい授業では、どうしても一定数の「不穏分子」が発生する。何か打ち込んでいるように見えて、その実、勝手に推しの検索したり、それを写真ファイルに収めたりするやつがでてくるので、見張りが必要になるのが弱点。
教師も生徒も、タブレットと言う名のていのいい「おもちゃ」を与えられて何かを成し遂げたような充実感を得ることができるが、その実、1ミリもテーマに迫れませんでした、と言うことが多いのも事実。
そして恐ろしいことに、この手の研究授業を、わしは何度か目撃した。
そして恐ろしいことに、教育委員会の、わしよりも20個くらい年下かな?って思われるなんとか指導主事みたいな人が「次世代型道徳」って手放しで褒めたりするから、ドウトクって安っぽいなって思ってしまう。

話し合い迷子型
『道徳の授業には正解がない。子供同士のやりとりの中から、価値観のぶつかり合いが起こり、新たな価値観の獲得につながる』的な話でも、教育センターで聞かされたんかな?最初から最後まで生徒がずっと話し合っている。
「主人公はどう感じましたか。」→話し合い
「主人公はなぜそんな行動したのでしょうか」→話し合い
「あなたならどうしますか」→話し合い
「大切なことは何だと思いますか。」→話し合い
いや、ちょっとは一人で考えさせたれや!!人に言いたくないことだってあるんちゃう?
話し合いさせてると、授業盛り上がってるように見えるからね…わかるよ、わかる。わしだって、生徒に延々と話し合わせて終わりにしたい。でもさ、これまた、何がテーマだったのか、迫れないままに終わっちゃう典型パターンだからね。
熱心に話しているように見えて、その実、ご近所の噂話してる場合もままありますからな。ケンカ勃発してたり、痴話げんか発生してた事もあったから、過度の話し合いにはご注意を。
ひたすら記述型
一通り読み物教材読んだら、質問を提示。教科書に付属している道徳ノートや手製のワークシートにひたすら書かせる。
質問の提示のパターンも2種類あって、ひとつは質問一個ずつ提示型。提示しては書かせ、提示しては書かせするタイプ。もうひとつは、質問全部提示型。とりあえず、今から聞きたいこと全部質問にしました。はい、書いてください、みたいな。
これ、どっちがいい?っていわれたら、まだ一個ずつ質問型の方がいい。このパターンの授業では、書いた後に班内交流や学級交流が行われる事が多く、一個ずつ提示型ならまだ少しずつ価値観の醸成も可能?かもしれないけど。全部最初に書かせちゃったら、価値観の変化もくそもないよな。全部自分の考え書きましたけど、なにか?みたいな。発表しましたけどなにか?みたいな。
このパターンも、生徒がひたすらカリカリ書いてるから、教師の負担が比較的少ない。それゆえ、このパターンでふだんを乗り切っている教師は割と多い。
交流のところが難しいが、以前、全員に全部読ませると言う猛者がいた。わしが生徒だったら、もう、自分の考えなんか恐ろしくて書けない。罪な授業である。
映像依存型
その日扱う教材に合わせて、ひたすらYouTubeを検索し、(わりと)ぴったりした素材を探し出して授業に使う。
導入時に興味付け程度に見せることは良くあるパターンだが、依存タイプの教師は導入用、真ん中用、締め用、いくつか準備しているのが特徴。
ほぼ、YouTube見てるから子供も楽だし、音楽やナレーションで飽きることなく眺めることができる。途中、コマーシャルがはいったりするのだが、意外にコマーシャルは盛り上がるので、映像依存型教師はCMも案外好きなのだ。
YouTubeは、実は侮れない。なぜなら、テーマもきちんとクリアした上で、かなり美しく着地するものが少なくないからだ。
正直、わしも、他の先生が「YouTubeいいのありましたよ!」って言ったら、乗っかっちゃうことある。YouTubeは偉大なのだ。
その昔、小学校の頃って、けっこう道徳でTV見てなかった?見てたよね?昭和の頃。(古い。)
アレと同じで、やはり映像には動かしがたい魅力があるものなのだ。
じゃあ、それでいいじゃん?と言う声もごもっともなのだが、このパターンは、YouTubeに適当な映像がなかったときに詰むのである。
必死に探しても、良いものがない…確か、「転勤した○○先生が良い映像もってたよ!」って話聞いて、県のはずれまでDVD借りに行ったやつ、いたなあ…。
読んだら終わり型
はい、出ました。究極のパターン。読み物教材を読む。ちょっと感想を書く。(質問事項無し。)そして、あとは自習。う~ん、潔いっちゃ潔い!!
家で宿題やらないから、学校でやりたい生徒の方々にご愛顧頂いている授業パターン。教師も、自分の仕事出来るからWin-Winである。
テーマ?
何それ?
食えるの?
おわりに
もちろん、全員が全員、このパターンだとは言わないよ?なんかさ、不思議なもんで、道徳に命かけてる教師っているんだよね。私が、生徒の道徳心を養います、みたいな。道徳は大事!みたいな。
うん、そういう先生もいたって良いと思う、ってか、それが本来の在り方なんだろうよ。
でもさ。年がら年中、道徳に力入れられてる生徒の身にもなってよ。そういう教師に限って、イレギュラーな発言とか素っ頓狂な意見とかは割と無視だったりするからね。いや、立派な先生もたくさん見たけどさ。
ただ、一つ言えるのは、道徳、てか倫理観?人間としてあるべき誠実な生き方?そういうもんって、やっぱ座学じゃ身につかんからね。
日常のありとあらゆる場面が道徳の現場でやんす。
だからこそ、座学の道徳は「担任と生徒、楽しくうまくやってこうよ」ってなりがちなところもあると思う。
教育委員会の人とかも、多分、学校勤めてた頃、上のパターン使ったことあるはずだよ。
我々教師は、現実の中学校で、こんな授業してます。
あ、教育委員会に言いつけないでくださいね。
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