中学校という、小さくて理不尽で、閉塞している社会から。

中学校

この仕事に就いて、ずいぶん経ちました。地方の中学校で国語の教師をしています。教師と書くのは、久しぶりです。普段は決して「教師」とは言いません。我々は、「教員」です。

弁護士の方は、自分を「弁護員」と自称したことがあるでしょうか。看護師の方は「看護員」と呼ばれたことがあるでしょうか。

教師は、日々の業務を円滑に進める中で、自分の仕事に誇りを持っていることを、一般人、特に保護者に気取られると厄介なことになります。
「教師」という言葉の響きには、どうやら 上から目線のニュアンスが多分に含まれているらしく、我々が自分を「教師」と呼ぶのは非常にうさんくさい印象を与えてしまうのでしょう。

不思議なもので、業界内では、この現実について誰一人口にする者はいません。採用されたばかりの新人でさえ、そのうちにこの言葉の使い分けを認識します。我々はあくまでも全体に奉仕する役目を担った「教育公務員」であり、「教師」を標榜するなんざ、おこがましいとでもいわんばかりに…。

 自分が中学生だった頃は、先生って輝いてたんですよ。本当に。あこがれたし、その言葉を心に刻み込んだことも数知れず。

 今は、そういう時代ではありません。「教員」はサービス業です。いかにサービスに徹するかが、顧客満足度に大きく影響します。

 夢をもって、選んだ仕事だった。…はずなのに。

 サービスの受け手を経て、サービスを提供する側に。
見えてくるものは大きく違ってきました。

 自分のいる場所から見た、この小さな社会の不条理を、お伝えできれば幸いです。

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